2018年3月14日水曜日

今回は自分の好きな西洋画について書かせてもらいます


1月のとある日 得意先のN社のN社長のご紹介で茨城県にある「染めQテクノロジィ」の本社・ショールームを見学する機会があった。
最先端の技術で特徴ある塗装材を開発・製造・販売するメーカーでそれ自体も非常に興味深かったが、最後に商品展示室で出会ったアングルの「泉」をモチーフにしたオブジェに出会いびっくりした。
トイレットペーパーを高く積み上げてその側面に「泉」の上部を黒のスプレーで吹きつけたと思われる作品でその発想にも驚いた。
大きさを知ってもらうため、弊社北関東支店の長谷川哲也次長に写真に入ってもらった。



ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル(1780-1867)が「泉」を完成させたのは画家として晩年に近い76歳(1756)だった。
アングルの絵としては画質が荒いが、その静謐性、永遠性は他の作品を上回る。中心に立つ女性はまだ少女と言っていい程若いが、その無表情と滑らかな身体はまるで陶器のようだ。
「泉」とはもう60年(!!)の付き合いになる。

小学生の時代 取り立てて学業も運動にも取り得のなかった私は本を読むことが好きな何処にでもいる少年だった。小さい頃から読書が好きで、よく小学生用の小説類を読んでいたが、その合い間に美術全集も見ていた。小学4年生頃になり、段々自分の好きな画家が定まるようになりいつも開くようになったのは、ダヴィットやアングルの生きた新古典主義の時代だった。
暗くてひんやりした印象の図書室の片隅で自分の身体と殆んど変わらない大きさと重さの本を引き出しては床に広げて見ていた。アングルの「泉」と「グランドオダリスク」はどちらも若い女性の裸体画だ。だから近くに人がいる時にはそのページは開けなかった。だが誰もいないと見ていて何時までも見飽きなかった。
今ならばそれらの絵の持つ美術性や意味合いを述べることは出来るが小学生には判らない。それよりこのような裸体画に強く惹かれる自分はおかしい(異常な)のではないかと秘かに悩んだ時もあった。

時は流れ社会人となり、自分で稼いだ金で何かが出来るようになり、最初に実行した非日常性行動といえば、音楽愛好家集団のヨーロッパ旅行に紛れ込みパリのルーヴル美術館でそれらの絵の実物を観ることだった。
「グランドオダリスク」の現物の前に立った時の興奮は今でも憶えている。ただどういう訳か(貸し出しが激しいからだが)「泉」とは出会えなかった。その後行った二回目のルーヴルでも会えなかった。
その「泉」と出会えたのは、なんと1981年日本の上野の国立西洋美術館の「アングル展」だった。二回目に会ったのは2005年の横浜美術館「ルーヴル美術館展」であったから不思議だ。


Google Art Culture「泉」 ← ここをクリック



その後 年齢や知識(?)と共に絵画の趣味や好みはどんどん変わっていった。モネやルノアールが当然のように好きになり、またその先でフェルメールやクリムトに行き着き、今ゴッホやピカソの一部に強く惹かれる。自分には自ら絵を描いたり文章を書いたり音楽を奏でる才は全く持つ事なく現在まで至ってしまったことは残念だが、それらを観て読んで聴いて楽しむ趣味を授けてくれた両親には深く感謝している。





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